小泉八雲記念公園

耳なし芳一・ろくろ首・雪女で知られるギリシャ出身の作家

小泉八雲記念公園1850年(嘉永3年)~1904年(明治37年)、ギリシャのレフカダに生れた小泉八雲は、1890年(明治23年)に来日し、1896年(明治29年)から亡くなるまで新宿で暮らしました。

八雲は失われつつあった、古き良き時代の日本の風俗を広く世界に紹介しました。『知られざる日本の面影』から始まる八雲の日本への研究は、『骨董』『怪談』、そして、日本研究の集大成ともいえる『日本~一つの解釈~』まで多くの著書として発表されました。自らの体験に基づいて書かれている八雲の作品には、現在でも高い評価が寄せられています。 また、八雲は教育者としても多くの人々に影響を与えました。

東京帝国大学(現・東京大学)文科大学や早稲田大学では、後に文芸界で活躍する多くの人々がその教えを受けています。このように、この新宿の地で晩年を過ごした小泉八雲は、近代日本に多大な影響を与え、今なお多くの人々に愛されています。

東京都新宿区(説明板より)

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ギリシャ風の公園として整備

明治時代の文人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシャ・レフカダ町に生まれ、現在の新宿区大久保1-1でこの世を去りました。新宿区とレフカダ町は、この縁をもとに相互に交流を重ね、理解と友情を深めるため、平成元年10月友好都市となりました。新宿区は、この度、小泉八雲が没したこの地に小泉八雲記念公園をつくりました。

この公園の設計に当たっては、コンスタンティノス・ヴァシス駐日ギリシャ大使並びにスピロス・マルゲリス・レフカダ町長から詳細な助言をいただき、ギリシャ風の公園として整備しました。 ギリシャの雰囲気を出すため、古代の柱や集会場(アゴラ)をイメージした広場、中世風の建物、近代のイメージとしての白い壁などを設けました。

この公園が、日本を世界に紹介した小泉八雲を偲ぶ場所となり今後、新宿区とレフカダ町の友好がより一層深まることを願います。

平成5年4月
新宿区長 小野田 隆(説明板より)

lafcadio hearnアイルランド人を父に持つラルカディオ・ハーンは、幼少年期をアイルランドのダブリン市で過ごしました。これらの銘板は、彼が育った二軒の家屋に記念として掲げてあるのと同じものです。小泉八雲記念公園の開園に当たり、新宿区長及び区民の皆様に銘板を贈呈いたします。

1993年 4月
駐日アイルランド大使 ジェームス・A・シャーキー

ギリシャ風の公園小泉八雲記念公園 正門小泉八雲銅像公園内の様子

※写真:左から「小泉八雲記念公園 正門」「小泉八雲銅像」「公園内の様子」

小泉八雲記念公園 : 東京都新宿区大久保1丁目7小泉八雲記念公園 地図
開園時間 : 4月~9月 8:00~16:00  10月~3月 8:00~17:00

小泉八雲舊居跡 終焉の地

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、嘉永3年(1850)ギリシャのレフカダ町に生れた。

小泉八雲舊居跡明治23年 : アメリカの新聞記者として来日。その後、記者をやめ、小泉セツと結婚。松江・熊本で教鞭をとった。
明治29年 : 日本に帰化し、以来、東京帝国大学、早稲田大学で英文学を講じながら『怪談』等幾多の英文による名作を執筆した。
明治35年 : 市谷富久町からこの地大久保に居を移した。
明治37年 : 9月26日、妻子の身を案じ、自分の仕事を気にしながら『ああ 病気のため・・・』の悲愴な一語を残し、帰らぬ人となった。 時に54歳であった。

伝統的な日本文化を広く欧米に紹介した彼の功労に対し、大正4年、日本政府は従四位を追贈した。 我が国の自然と文化をこよなく愛し、その真の姿を伝えた功績は偉大であり、高く評価されている。

昭和61年10月23日
東京都新宿区長 山本克忠(説明板より)

英文の説明板小泉八雲旧居 写真小泉八雲舊居跡通りの様子小泉八雲舊居跡石碑

※写真:左から「英文の説明板」「小泉八雲旧居」「小泉八雲舊居跡の通り」「小泉八雲舊居跡石碑」

小泉八雲舊居跡 : 東京都新宿区大久保1丁目・大久保小学校脇小泉八雲舊居跡 地図

新宿区富久町 小泉八雲旧居跡

小泉八雲旧居跡ギリシャのレフカダ島に生まれ、数多くの作品により日本の姿を欧米に紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン1850~1904)が明治29年(1896)8月、東京帝国大学文学部の講師として招かれ上京し、9月より東京で初めて居を構えた地である。

彼の作品「異国情趣と回顧」にみられる様に、隣接する自証院(通称・瘤寺)の風致をこよなく愛し、縁深い境内を散歩などしていたが、開発により自然が失われていくのに心を痛め、明治35年(1902)3月、5年間住みなれたこの地から、武蔵野の面影がまだ残る豊多摩郡大久保村大字西大久保(現・大久保1丁目)に居を移した。

「小泉八雲菖居跡」の碑は、小泉八雲生誕百年を記念して昭和25年(1950)に有志の手により建立されたものであり、英文はエドモンド・ブランデンの撰による。

平成5年(1993)1月
東京都新宿区教育委員会(説明板より)

小泉八雲旧居跡 : 東京都新宿区富久町7-30 成女学園中庭小泉八雲旧居跡 地図

小泉八雲の墓 雑司ヶ谷霊園

小泉八雲の墓小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は19歳でアメリカに渡り、20歳で新聞記者となり、30歳代には記者から作家へと転進を計っていったようです。

作家へと転進を計っていた期間、西インド諸島のフランス領であるマルティニークに2年間滞在し、異文化体験、そしてアニミズムに接し学んだとあります。その後、日本へ来日した際、マルティニークでの体験は日本の文化に興味を持つ要因となり、一時期の滞在のつもりが永住することになりました。 

明治時代、小泉八雲は「古きよき日本」をこよなく愛し、日本の伝統と文化を庶民の生活の場から深く感じとり、数々の著書を残した人です。横浜に来日後、横浜で教員の仕事を紹介され島根県の松江に住み、そして熊本、神戸、東京へと移り住みました。小泉八雲と名乗るようになったのは、1891年(明治24年)島根県の松江市で小泉セツと結婚し、1896年(明治29年)日本国籍を取得してからです。

東京都の新宿区大久保で最後を迎えた小泉八雲の墓は、豊島区にある雑司ヶ谷霊園にあります。中央が小泉八雲の墓石で、左が妻セツの墓石、そして右には小泉家の墓石。八雲の墓の近くに、八雲の作品を愛読していた歴史学者や作家、俳優などの墓があります。

画像:2015年9月26日土曜日 小泉八雲のご命日に撮影。

雑司ヶ谷霊園 : 東京都豊島区南池袋4丁目雑司ヶ谷霊園 地図

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