新大久保商店街の歴史
大久保通りに商店街が誕生したのは大正末期で、当時の商店街の名称は商友会でした。その後、道路の拡張と共に大盛会と改め、商店街は発展していきました。1945年(昭和20年)の大空襲で焼け野原となりましたが、戦後、商店主たちが立ち上がり復興し、めざましい変化を成したとあります。
1947年(昭和22年)には町を明るくしようと商光会が発足。1953年(昭和28年)頃から新築や改装された2階建ての店舗が多くなり、1975年(昭和50年)頃から始まったビル建設と共に、電柱の地中化、水銀灯の付け替え、歩道のカラー塗装工事などが行われたようです。
1988年(昭和63年)には新大久保商店街復興組合を設立。1998年(平成10年)には新大久保駅のガード下に大壁画ペイント「天使のすむまち」を完成させ、その壁画のタイトルは新大久保商店街復興組合の愛称となりました。
新大久保駅ガード下の大壁画「天使のすむまち」
現在新大久保は、韓国の人々だけでなく、世界の国からも多くの人がやってきています。そういった海外からの訪問者や移住者に不安やストレスなく、安心して買物が出来る商店街にしようと商店街復興組合は考えました。
様々な国の人が住んでいる新大久保、それぞれ様々な問題を抱えていますが、民族間の壁を超え相互理解を深めるため、世界中で共通の理解が得られる「天使」という存在をシンボルにして制作された壁画です。
天使のように優しい気持ちを忘れずに、人と人として接していこう、誰の心にも住んでいる天使を一人一人が大事にしよう、といった気持ちと願いがこめられています。
本格焼酎「天使のすむまち新大久保」と「アトムサイダー」の販売
2012年、新大久保商店街では本格焼酎「天使のすむまち新大久保」というラベルのオリジナル芋焼酎と麦焼酎を作り、販売を開始しました。新宿区は鉄腕アトム発祥の地であることから、鉄腕アトムをラベルに「十万馬力新宿サイダー」も同年に販売を開始しています。
「十万馬力新宿サイダー」通称アトム・サイダーについては、瓶のリユース(再利用)システム構築、また、リユース(再利用)事業の一環として、新宿区商店会連合会が開発し販売を開始したものです。空瓶を買った店に戻すと、アトム通貨50万馬力(50円相当)がもらえ、アトム通貨加盟店で50円として使用できるそうです。
本格焼酎「天使のすむまち新大久保」の芋焼酎は、大分県日田市のミネラルウォーター日田天領水(ひたてんりょうすい)を使用し、麦焼酎は日田天領水仕込とのこと。また、「十万馬力新宿サイダー」通称アトム・サイダーについては、徳島産のすだち果汁を2%使用し、爽やかな味わいとなっているそうです。
新大久保の老舗店・今もNOW!
新大久保商店街は戦前からの歴史ある商店街です。近年、韓国のお店をはじめ、様々なアジアの飲食店や物販店が多く出店し、関東随一のコリアンタウン・アジアンタウンとして知られるようになりましたが、昔からの様々な老舗のお店も存在します。